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千葉地方裁判所 平成7年(ワ)542号 判決 1998年3月25日

主文

一  被告らは、原告に対して、各自金九三万六八二四円及び内金八三万六八二四円に対する平成七年二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告両名は、原告に対し、各自金五七五万三五三〇円及びその内金五二五万三五三〇円に対する平成七年二月五日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告学校法人紅陵学院(以下「被告紅陵学院」という)の設置する拓植大学紅陵高等学校(以下「紅陵高校」という)の三年生(当時)であった原告が、平成七年二月四日、同高校の体育館で行われた学年集会の場において、同高校教員である被告木津廣二(以下「被告木津」という)から、横を向いて話を聴いていたとして前へ呼び出されて、頭部・顔面などを殴打され、続いて、首を鷲掴みにされて引きずられて体育館の外の廊下に連れ出されたうえ、さらに殴打され、突き飛ばされ、床にたたきつけられるなどの暴行を受けたことにより、頭部外傷、頚部・両上腕・両手・右膝挫傷、右手関節部捻挫、左手関節部捻挫の傷害を負い、かつ、精神的苦痛を被った、と主張して、被告紅陵学院に対しては民法七一五条一項に基づき、被告木津に対しては民法七〇九条に基づき、損害賠償(損害額の合計五七五万三五三〇円、内訳・慰謝料五〇〇万円・治療費二二万九六五〇円・調剤報酬料一万二七六〇円・文書代一万一一二〇円・弁護士費用五〇万円)をそれぞれ求めている事案である。

一  争いのない事実

1 (当事者)

(一) 原告は、平成四年四月から同七年三月まで、被告紅陵学院が設置する紅陵高校の全日制過程普通科に生徒として在籍していた者で、平成七年二月四日当時、同校同科の第三学年M35クラスに所属していた。

(二) 被告紅陵学院は、学校教育を行うことを目的とする私立学校法人であって、紅陵高校のほかに志学館高等学校及び志学館中学校を設置している。

(三) 被告木津は、当時右紅陵高校の教員であった。

2 (本件事件)

平成七年二月四日午前一一時三〇分ころから、紅陵高校の第二体育館において三年生を対象とする学年集会(以下「本件学年集会」という)が開かれた。

本件学年集会において、被告木津教員は、生徒の列の前にある朝礼台に立って話を始めたが、暫くして原告を前に呼出し、前に出て来た原告を手で叩き(経過・態様等には争いがある)、続いて原告を第二体育館の外の廊下へ連れ出し、そこで原告と再びもめた(内容・態様等には争いがある)(以下「本件事件」という)。

3 (本件事件後の経過)

本件事件後、原告は、その後の登校日や予餞会、三月三日の卒業式をいずれも欠席した。

被告木津教員は、本件事件が起こった翌日の二月五日、学年主任の荻原教員、M35クラス担任の佐藤教員とともに原告宅を訪問し、原告の父親に謝罪し、また、当時、紅陵高校の関係者(校長、副校長、学年主任、クラス担任など)が、数回にわたって、原告宅を訪問し、原告の父親と面談するなどしたが、いずれも原告との面接はできず、原告の父は、これらの謝罪を受け入れなかった。

なお、卒業式が行われた三月三日には、クラス担任の佐藤教員と学年主任の荻原教員が、原告宅を訪問し、卒業証書、卒業アルバム、卒業記念品を届けた。

二  争点

1 被告木津の原告に対する殴打等の行為の契機、態様及び程度。

2 被告木津の右殴打等の行為と相当因果関係にある損害の内容及び額。

第三  争点に対する判断

一  本件事件の事実経過について

1 本件事件の経過等について前記争いのない事実、《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる(右認定に反する内容の証拠は他の証拠等に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない)。

(一) 本件学年集会(平成七年二月四日紅陵高校第二体育館で行われたもの)は、三月三日の卒業式を控えた三年生に対し、約一か月間の家庭学習期間(二月五日から二月二八日まで)中の諸注意や今後の行事予定の連絡等を含めた生活指導をするためのものであった。

本件学年集会では、生徒は、クラスごとに二列に並んで座って参加し、当時原告の属したM35クラスは、前の方が女子、後の方が男子であって、男女の間では並び順等の指定はなく、また、座り方もまちまちであったが、平素から、集会では話をする教員の方を正視して話を聴くよう指導がされていた。

原告は、本件学年集会では、M35クラスの列の女子生徒の中で、乙山の後ろ、丙川の右隣に並び、女子の最後に一人で並んだ丁原の右斜め前という位置に体育座りをして座っていた。

(二) 本件学年集会では、当時の三年生の全担任が出席し、まず国分教員が話をし、次に被告木津教員が朝礼台に立って話を始めたが、五分くらい経ったころ、私語をする者や顔を伏せる者が目立ち出した。なお、当時、原告は、背中を丸めて下を向いたり上を向いたりしており、真っ直ぐ前を向いていたわけではないが、同じような様子をしている生徒は他にもいた。

被告木津教員は、多少ざわつき出した様子を見て、まず、正面を見ずに私語をしていた男子生徒四名程に対し朝礼台の上から口頭で注意し、その後、原告とその左斜後ろにいた丁原が正面を見ずにいて、話を聴いていない様子であったことから、まず丁原に対し前を向くように注意したが、原告は、右丁原への注意を聴いても前を向かなかった。

(三) そこで、被告木津教員は、丁原の隣、戊田の後ろ、お前だ、というような原告の名前を直接出さない言い方で、原告に対し、前に出てくるように指示した。

原告は、左隣に座っていた丙川に「私なの。」等と言って自分が注意されたのかどうか確かめた後、朝礼台の手前まで進み出たが、その際、「なんで私ばかり。」というようなことを言っていた。

(四) 原告が朝礼台の前に出てきたとき、被告木津教員は、原告に対し、「お前どこ向いていた。」と言ったところ、原告は、「前を向いていました。」というような応答をし、不服そうな口調・態度を示した。

これに対し、被告木津教員は、口頭で注意することなく、朝礼台の上から、すぐ手前にいる原告を平手で一回叩き、これは原告の左頬から左側頭部の辺りに当たった。

すると、原告は、被告木津教員に対して、「何をするのよ」「自分はちゃんと前を向いていたのに」というような発言をして強い勢いで食ってかかった。

被告木津教員は、原告からの思わぬ反撃に感情的になって、朝礼台から下り、原告を平手で十数回にわたって叩いた。なお、右十数回の平手打ちのうち、何回かは原告が両手で防御する姿勢をとったためその両手に当たり、原告の左頬から左側頭部にかけての辺りに当たったのは三、四回くらいであった。

これに対して、原告は、興奮した様子で、なぜ叩くのかというようなことを言いながら、手をばたばたさせて被告木津教員にぶつかって行き、被告木津教員はこれを振払うような動作をして二人はもみ合う状態になった。

この間、被告木津教員を制止したり、二人の間に分けて入ろうとする者もいなかった。

(五) 続いて、被告木津教員は、もみ合う状態になっていた原告の首の後ろを手で押さえ、左手等を引張るような形で、原告を第二体育館の外に連れ出し、第二体育館の出入口に続く階段を下り、踊り場を通り、その先にある校舎の廊下(M36教室横)まで進んだ。

(六) 右校舎の廊下に至ったとき、原告は、大声で叫んだりわめいたりしながら興奮して両手をばたばたさせて被告木津教員や壁の方へ向かって体当たりを繰り返した。

これに対し、被告木津教員は、右廊下の壁に背を付けて立ち、原告を振払っていた。

その際に、原告は、被告木津教員に振払われて数回床に倒れ、また、被告木津教員や壁に当たったはずみで自ら倒れたりもした。

原告の興奮状態に対し、被告木津教員は右以上の特別のことをせず、直ぐ後にその場に来た担任の佐藤教員は原告及び被告木津教員の様子を見ていた。

なお、右廊下の床はコンクリート製、壁は石膏ボード製でいずれも硬い材質で作られていた。

(七) しばらくして原告が落ち着いてきたところで、被告木津教員は、原告を連れて面談室に行き、佐藤教員は、そのまま第二体育館に戻った。

面談室では、被告木津教員は、原告が体育祭のダンスの練習を一所懸命にしていたことなどの話をし、また本件学年集会の場で原告を叩いたことについて謝った。

その後、被告木津教員は第二体育館に戻り、原告は、第二体育館の出入口のところで担任の佐藤教員が引き継ぎ、他の生徒とは一緒にせずに対応した。

2 右事実経過に関し、原告は、<1>前へ出て来いといわれた際に原告は横を向いていなかった、<2>前へ出て行くと「お前どこ向いてんだ。」と言われていきなり殴られた、<3>朝礼台の上から平手で三、四回、朝礼台を降りて来て拳で一〇回位頭や顔を殴られた、<4>第二体育館の外へ連れ出された時には階段の上から廊下へ投げつけるように押し倒された、<5>廊下では、再び、殴られ、突き飛ばされ、床に叩きつけられた、<6>面談室で被告木津は、皆の前で殴ったこと、勘違いしたことを謝罪し、感情的になりすぎたと話した、と主張し、原告は事実誤認の下で皆を静かにさせるために「みせしめ」的な「体罰」を受けたものである、と主張するので、これらの点につき検討する。

(一) 本件学年集会で原告が前へ呼出される以前の様子について、原告は、右<1>のとおり、注意を受けるような姿勢をしていなかった、と主張する。

しかし、当時の原告の様子については、近くに座っていた生徒らもはっきり見ていた様子はなく、被告木津教員以外で一番良く見ていたのは担任の佐藤教員であったところ、同人の証言を基礎に、他の証拠も併せ考えれば、右1(二)のとおり、原告は当時前を見ていなかった、とみられる。

これにつき、原告は、被告木津教員が後に原告に対し、勘違いで原告に手を出したことを謝罪して、同被告の事実誤認をいうところ、本件証拠では当該内容の謝罪の有無は定かではないうえ、当該内容の謝罪があったとしても、何をどう勘違いしたのかは明確ではなく、却って、当時、丁原(原告の近くに居た生徒)が注意を受けて周囲の生徒らが一斉に前を向いたとみられる中で、原告が前を向いていなければ一人目立つことになることを考えれば、原告の主張する被告木津教員の右謝罪の点や、同被告が、前に出るよう言った際に原告の氏名を呼ばなかった点を考慮しても、本件では、前記認定を左右するに足りる証拠・事情があるとはいえないから、原告の右の点についての主張は採用できない。

(二) 次に、本件学年集会で原告が被告木津教員に最初に叩かれる前の原告の言動について、原告は、右<2>のとおり、いきなり叩かれた、と主張する。

これにつき、原告の主張に添うとみられる佐藤(担任)、丙川(生徒)の各証言等が存するけれども、このような証言等は少数であり、かつ、位置関係によって原告の発言がどこまで聞こえたか定かではないところ、本件では、原告が前に進み出る途中や叩かれた後も不服の言動をしていること、被告木津教員が原告を前に呼ぶ時から叩く決意であったことを窺わせる事情を本件では見出せないこと、同被告は原告が予想外の抵抗を示したことから手が出たとみるのが合理的であること等の事情があることを考慮して、前記認定に添った多数の証拠を勘案すると、右1(四)のとおり、原告が不服の言動を示したのに対し直ちに同被告が手を出したとみられるものであって、この点についての原告の右主張は採用できない。

(三) また、本件学年集会で原告が叩かれた態様・程度について、原告は、右<3>のとおり、最初は平手で三、四回、次に拳で一〇回以上、と主張し、その場にいた生徒らは被告木津教員が原告に対し相当激しいことをしたという印象を持ったことは窺えるけれども、これは原告が同被告に対し予想外の抵抗を示したことによる印象が加わったものと理解され、前記各証拠やその後の廊下での受傷の余地を考慮した原告の負傷の部位・程度(後記三1(一)(1)で認定のもの)に照らせば、本件証拠から認められるところは、右1(四)のとおりであり、原告の主張するような態様・程度のものであったことを認めるに足りる証拠はないから、原告の右の点についての主張は採用できない。

(四) 更に、第二体育館外での状況について、原告は、右<4><5>のとおり、階段で押し倒された、廊下で再び殴られ蹴られ突飛ばされた、と主張する。

これについては、佐藤(担任)教員が被告木津教員と原告の後を追って直ぐに第二体育館の外へ行き、両者の様子を目撃しているところ、廊下で被告木津教員と原告のもみあいが一応納まった後に同被告は直ぐに面談室で原告に謝罪し原告を持上げる話を述べたこと(右1(七))が窺われることや原告の負傷の部位・程度からすれば、原告が主張するような暴行を被告木津教員が廊下で再び行ったとは考えにくい状況であることも考慮すると、右佐藤証言を基礎に、その他の証拠を勘案して、本件では、前記1(六)のとおりに認められるのであって、これに反する原告の右主張は採用できない。

(五) 右検討したところによれば、本件事件の経過・態様は右1のとおり認められるものであって、必ずしも原告の主張するようなものではなく、また、原告が事実誤認の下にみせしめ的な体罰を受けたということもできない。

二  被告らの責任原因について

1 被告木津の責任原因

(一) 第二体育館内での被告木津の行為について

(1) 右一1で認定した事実によれば、被告木津教員が本件学年集会の場で、右一1(四)のとおり原告に対して十数回にわたり、平手で、その顔面や頭部、両手などを殴打した行為は、暴行というべき違法な加害行為であることは明白であり、これが、たとえ生徒指導の目的をもってなされたとしても、学校教育法一一条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と規定していて、右ただし書により全面的に禁止されている教員の生徒に対する「体罰」に該当することになるから正当化することはできず、他に、本件学年集会における被告木津教員の原告に対する右加害行為を正当化する事由は見出せない。

なお、被告らは、教員が、指導している生徒から馬鹿にされたり、食ってかかられたりして、言葉で注意しても収まらないような場合に、これを制止するため手を挙げることは、過大に非難されることではない、などと主張して、被告木津教員の当時おかれた状況下では、被告木津教員が、殴打行為(ただし被告らは右一1の認定より少ない回数で程度も軽いものを前提としている)に出たとしてもやむを得ないという主張をしているようにも思われるけれども、被告らの右主張するともみられる点は、右一1(四)のとおりの加害行為と比べて軽微な行為を前提にしていて本件とは前提が異なるものであるうえ、前記学校教育法の体罰全面禁止の規定をみれば、本件で採用できる主張ではない。

(2) 次に、被告木津教員は、右加害行為の後に、ある程度の有形力を行使して原告を第二体育館の外へ連れ出したのであるが、これは、右一1の事実経過に照らせば、興奮していた原告を別の場所で落ち着かせる目的の下に行われたものであって、その態様・程度は右一1(五)の認定のとおりであったから、原告の興奮状態が被告木津教員の違法な加害行為に起因するという事情を考慮しても、右程度の有形力の行使を違法ということはできないし、これは懲戒である体罰とは異なるものであった、といえる。

(二) 第二体育館外での被告木津の行為について

(1) 原告は、被告木津教員が第二体育館外の階段や廊下においても、原告に対し種々の暴行を加えたと主張するけれども、これに関しては、本件では前記一1(五)(六)のとおりに認められ、原告の右主張するような第二体育館外での暴行を認めることはできない。

(2) しかしながら、右一1(六)で認定した事実によれば、原告は、前記廊下(M36教室横)に至った際、興奮状態に陥って、取り乱し、被告木津教員や壁に体当たりしていたものであり、当該廊下の周囲の壁や床は、前記一1(六)のとおりコンクリートや石膏ボードなどの硬い材質で作られており、そこで転んだり倒れたりすれば原告が打撲等の負傷をする可能性が高かったもので、このことは被告木津教員は容易に認識し得たとみられる。

これに加え、原告が右興奮状態に陥ったのは、被告木津教員が本件学年集会の場で原告に対し前記違法な加害行為(暴行)をしたことが、直接の原因であったといえる。

そうであれば、被告木津教員は、生徒指導をする教員の立場として、かつ、原告が興奮状態に陥った原因を作った者として、興奮して取り乱している生徒である原告に対し、自ら或いは近くに来た担任教員の助力を得て、なだめるとか、取り抑えるとかして、原告が負傷しないよう保護する行動・対応を取るべきであったといえる。

そして、当時の状況下で、被告木津教員が取り乱している原告に対し、右保護する行動・対応を取ることはそう困難なこととはみられず、また、これにより、原告がその場で転倒したり壁等に当たったりしたことによるとみられる負傷の多くは防止できたはずである。

それなのに、被告木津教員は、取り乱した原告を振払ったり傍観したりして、原告を保護する行動・対応を取らなかったものであり、このことは、被告木津教員において、右具体的状況の下で生徒である原告の負傷を防止すべき安全配慮義務を怠った過失があったというべきである。

(三) そうすると、被告木津教員は、右(一)の加害行為と右(二)の安全配慮義務違反の過失によって原告が被った後記損害について賠償する責任がある。

2 被告紅陵学院の責任原因

次に、被告紅陵学院は、本件事件当時、被告木津教員の使用者であり、被告木津教員の原告に対する右1(三)の不法行為(右1(一)の加害行為及び右1(二)の過失)は、被告紅陵学院の教員としての生徒指導の過程において起こったものであって、いずれも被告紅陵学院の職務を行うについてなした行為であるというべきであるから、被告紅陵学院は、民法七一五条一項に基づき、被告木津教員の右行為により原告の被った後記損害を賠償する責任がある。

三  原告の損害について

1 治療費、調剤報酬料、文書代

(一) 原告の負傷及び治療経過

(1) 前記争いのない事実及び認定事実、《証拠略》によれば、原告は、本件事件後、教室に戻った時点で、頭や首、手足に痛みを感じ、手や頬が赤くなっていたこと、自宅に帰った後も右痛みが増加し、頭部にこぶができていたこと、これらに対する治療を受ける目的で、原告が、本件事件当日の平成七年二月四日と同月五日の二日間、高橋整骨院において右手関節部捻挫、左手関節部捻挫の病名で治療を受けたこと、同年二月六日から四月一一日までの間に、加曽利病院において頭部外傷、頚部両上腕両手右膝挫傷の病名で計一九日間治療を受け、同年四月一八日から同年一二月五日までの間に、平地治療院(後に和光治療院となった)において計三一日間両頚部両肩両肩甲骨左耳際に針・灸・電気ホットマグナーの治療を受け、同年五月三〇日から平成八年六月二五日までの間に、小倉台クリニックにおいて頚肩腕症候群の病名で計一一〇日間治療を受け、そして口頭弁論終結時においても右小倉台クリニックにおいて治療中であったこと、などの事実を認めることができる。

(2) しかしながら、右負傷に対する治療の期間について、事故直後において、約二週間の加療を要する旨の診断が高橋整骨院の整骨師及び加曽利病院の医師によってなされていることやその後の治療の病名・治療内容などからすれば、原告が受けた加害行為の態様・程度が前記第二体育館における平手による十数回の殴打であり、これに、前記廊下での転倒等が加わったことを考慮しても、右二年間に及ぶ治療が全て被告木津教員の前記不法行為に起因する原告の負傷についての通常必要とされる範囲の治療期間・治療内容とは考えにくく、本件では、高橋整骨院と本件事件があった日の翌々日から通院している加曽利病院で受けた治療が、本件事件において相当な因果関係にある治療であるというべきである。

(二) そして、《証拠略》によれば、右相当な因果関係にある治療(高橋整骨院と加曽利病院分)に要した費用(治療費、調剤報酬料及び文書代)の額は、金三万六八二四円(それぞれ、金二万〇〇一〇円、金一万二八一四円、金四〇〇〇円)であると認められる。

2 慰謝料

(一) 前記認定事実によれば、原告は、被告木津教員の前記不法行為によって精神的苦痛を被ったと認められる。

(二) そして、本件事件の事実経過、被告木津教員の前記不法行為の内容、これらに至る経緯、原告の受傷の程度、その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すれば、本件について原告を慰謝すべき金額としては、金八〇万円とするのが相当である。

なお、原告は、被告らの体罰を容認するやり方や本件事件についての真相隠蔽のやり方を考慮して、慰謝料につき制裁的要素を加えるべきである旨の主張をするけれども、本件事件の事実経過については、前記一1のとおり認められ、必ずしも原告主張のとおりであるともいえないのであって、現行法上いわゆる制裁的慰謝料を認める規定も存しないのであるから、本件にあらわれた一切の事情を考慮した右相当額に更に制裁的要素を考慮した加算をすることは本件では適当とはいえない。

3 弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人らに委任し、その費用・報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額その他諸般の事情に鑑みると、原告が弁護士費用として被告らに請求しうる損害額は、金一〇万円と認めるのが相当である。

第四  結論

以上により、原告の本訴請求は、被告らに対して、不真正連帯債務として、各自金九三万六八二四円及び内金八三万六八二四円に対する平成七年二月五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条本文、六五条一項本文を、仮執行宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用し、平成九年二月二六日に終結した口頭弁論に基づき、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千徳輝夫 裁判官 三島 琢)

裁判官 大久保正道は、転補のため署名捺印できない。

(裁判長裁判官 千徳輝夫)

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